ソチ・オリンピックの想い出 ーその4ー 2・19 悪夢のSP
こんにちは。
今日、2月19日は、4年前の女子ショートプログラムが行われた日ですね。
前回は、成田を出て、殆ど眠れないまま30時間以上かけてソチに到着し、パスを受け取り、会場へ向けて出発したところまで書きましたので、今回は、その続きです。
さて、駅に着くと、テロの厳重警戒体制の下で、電車に乗ろうとする乗客全員、赤ちゃんまで含めて一人一人のパスと持ち物の厳しい検査が行われていて、その列に並ぶ人で、ごった返していました。機関銃のようなものを持っている兵士も何人かいて、最初は、かなり緊張したのを覚えています。
ようやくホームに辿り着くと、こんな感じの列車が入って来ました。
オリンピックパーク駅までは二駅。
そして改札を出てオリンピックパークへの階段を降りていきます。
そして、その先には、再びパスと荷物のチェックを行うゲートが・・・。
そして、このゲートを通過してから、フィギュア・スケートの会場であるアイスバーグなどの競技場がある場所までは、下の写真のような道を、2km以上?
何と徒歩30分!
もかけて歩いて行くのです。(写真は別の日の昼間のものです)
もちろん、お年寄りや歩くのが難しい観客のための輸送手段は用意されていました。
そして、ようやく決戦の場であるアイスバーグが見えて来たときには感慨深いものがありました。
アイスバーグを過ぎて、更に奥に歩いて行くとオリンピックパークの、ほぼ中心部にある聖火台に着きます。この聖火台、もともとフォルムが美しいのですが、夕日をバックにした、この日の美しい姿は忘れられません。
そして、観戦前に腹ごしらえをするのは、コチラの大きな建物の中のフードコート。確か色々な料理の出店みたいなものがあったと思います。
そして、いよいよ、会場に入りますが、ここでもパスは勿論、今日3度目の荷物チェック。本当にセキュリティーは厳しかったですね。
会場の中にも、グッズを売ってるショップや、飲み物や軽食を売っているお店もあって、大会マスコットのクマもお店に食事の調達?のために並んでました(笑)。
そして、これが会場の見取り図です。
ここで初めて、自分達の席がどの辺りの位置かが判明。
「D2」ですので、ショートサイド。
中に入って、シートに座って見えた景色がコチラです。
いやあ、これなら十分ですよ!
真央ちゃんが3Aを跳ぶ場所にも近いですし、ショートサイドでも、選手がリンクへの出入りする扉がある側なので、演技前や演技後の選手の様子も近くで観れる!
ということで当然、テンションは上がったのですが、ツアーの参加者達が全員席に着いたとき、違和感が・・・。
何と、
ツアーの添乗員の2人の席が、我々一団が座っている席の中での最前列である!
ことが判明したんですよ。
これには、さすがに参加者からクレームが入りましたが、じゃあ誰と席を変わるのか?を決めるのも大変ですし、そのまま観戦することに・・・。
まあ、そんなことは大したことじゃない?です。いよいよ競技が始まるんですから!
しかし、前半のグループの選手の演技を観ているうちに、私を恐ろしいくらいの睡魔が襲って来たのです。
そりゃそうですよね。殆ど寝てなくて、もう日本を出て40時間近く経ってるんですから・・・。
そして必死に睡魔と戦っているうちに、ようやく第3グループが登場し、一気に眠気が吹っ飛びます。
何と言っても、ここには茶番クーバーの主役が出て来ますからね。
たくあん色の衣装の彼女の演技は、相変わらず、スケーティングは伸びない、スピンも汚い、ステップも全く見るべきところがないという中で、ジャンプだけは得意の、
「見た目 ノーミス」
という内容でしたが、75点に迫る高得点・・・。(ジャンプも3−3の2つ目は思いっきりグリってましたけどね)
彼女は色んな大会を全てサボってましたのでランキングが低く早い滑走順でしたが、真央ちゃんが散々、言われた、
「早い滑走順だと得点が出ない」
という法則の適用は全くなかったですよね。
滑走順で点数が変わるなんて、そもそもスポーツとして終わっているわけですが、最初、真央ちゃんの点数を意図的に下げといて、その点数の低さを説明する苦し紛れの理由として、誰かが言い始めて、その後、全ての解説者に引用されるようになり、完全に定着し、今でも、恥ずかしげもなく「当然の事」として堂々と専門家の方々に語られるフレーズとなっています。
まあ、でも、タクアンが何点出そうが問題ない!真央ちゃんは必ずやってくれる!と信じて、第4グループの村上選手と鈴木選手に日本勢をしっかり応援。
そして、いよいよです!真央ちゃんのいる最終第5グループの選手が出てきました。
もう、自分もメチャメチャ緊張して、胸が締め付けられましたね。
でも、海外では、オリンピックでも写真・動画撮影は可なので、せっかくですので6分間練習の一部だけiphoneで動画撮影しました。以下の写真は、その動画からのスクショです。
この時は、勿論、アルメニアのリンクの事も知らないですし、6分間練習のルーティーンも、いつも通りこなして、3Aも成功していたので、調子は悪くないように見えました。
そして、最終グループの演技が始まり、リプニツカヤ選手は転倒しまたが、そこそこ点は出て、また、例の、
「ロシア!ロシア!」
の地鳴りのような大合唱・・・。
この時、同じロシアのソトニコワ選手の直後に最終滑走で滑る真央ちゃんの時に、また団体戦の時のような異様な雰囲気を作らないで欲しい!と頭に不安はよぎりましたね。
その後、コストナー選手がしっかりと演技をまとめてきて、これまた74点台の高得点。
そしてソトニコワ選手もタクアンより少し下の点でしたが、ノーミスの素晴らしい演技で74点台の得点で2位となり、会場の盛り上がりは最高潮に達しました。
団体戦ほどのマナーの悪さはなかったですが、リンクに入って演技直前の最後の調整をしている真央ちゃんには、あの雰囲気は多少の緊張感にはつながったのかもしれません。
因みに、我々は、TVに映っているこの辺りの席に陣取っていました。
私も、オリンピックを観戦するのは初めてですし、真央ちゃんがソチでバンクーバーの無念を晴らす姿だけを頭に思い描いていましたから、真央ちゃんが演技のスターティング・ポーズを取った時から、もう本当に心臓がバクバクで、ただただ祈るような思いで見つめていました・・・。
そして、演技が始まり、最初のジャンプである3Aで転倒・・・。
「いや、まだ大丈夫!次、頑張れ!」
と心の中で叫び、見守る中、3Fは、自分たちの席からは一番遠い位置でのジャンプなので、細かいことはわからなかったのですが、とにかく着氷したので拍手とガッツポーズ!
そして、最後のジャンプの要素、3Loー2Loのコンビネーションを成功すれば、まだ明日、チャンスはある!と思った、次の瞬間、我々の目の前で、まさかの光景が・・・。何と、ファーストジャンプが抜けて、コンビネーションにならず・・・。
この時は、誰もが、悲鳴もをあげることさえ出来ずに、私も「えっ???」と声にならない声を出し、その後は顔をしかめてうつむいてしまったのを覚えています。ただ目の前で起こったことが信じられない・・・。演技が終わった後に、拍手をしたかどうかさえ、覚えていません。
茫然とした表情でリンクから戻ってくる真央ちゃん。
そして得点と順位を確認しても、我々の誰一人からも声が出てこない状況・・・。
そして、誰もが殆ど喋らない重苦しい雰囲気の中、添乗員さんの、
「ホテルに帰りま〜す」
の指示で移動を開始。
もう夜中ですので、当たり前ですけど、外は真っ暗で寒くて、睡眠不足と長距離の移動で疲労はピークに達しており、そこに更に強烈な精神的ダメージが加わっているわけですから、駅までの30分の道のりは、本当に辛かったです・・・。
もう殆ど誰も喋る気力さえなく、無言の行進が続く中、誰かの、
「私たち、何のためにソチまで来たのかしら?」
と言う声が聞こえた時に、最初は、自分も、
「ホントにそうだな・・・」
と思ってしまいましたが、その後から、
「自分たちファンでさえ、こんな状態なんだから、真央ちゃんは、もっとショックを受けているだろう」
「真央ちゃんは精神的に大丈夫なんだろうか?」
「明日のフリーは出場できるのだろうか?」
というようなことが、ホテルに帰ってシャワーを浴びてベッドに入っても、頭の中にどんどん浮かんできて、疲れているはずなのに、なかなか寝付けない・・・。
だって、バンクーバ以降、あれだけの試練を乗り越えて頑張ってきて、この本番での厳しい結果ですからね。
当時、私は、facebookだけやってまして、競技が始まる前は何回か会場の写真をUPしたりしていて、友達から沢山の応援のコメントをもらってたのですが、真央ちゃんの演技終了後は、一切新しいコメントの書き込みもないし、勿論メールも来ませんでしたね。友人達もショックを受けたのでしょうし、私に掛ける言葉が見つからなかったんだと思います。
そして眠れないので、恐る恐るネットでニュースをチェックすると、演技後の真央ちゃんがインタビューで、
「何が起こったか自分でもわからない」
と発言したとの記事が目に入ってきて、更にショック・・・。
本当に、今、思い返しても、長旅と睡眠不足と緊張で、ある意味極限状態にあったところに、真央ちゃんが信じられない残酷な事実を突きつけられたのを目の当たりにして、正直、自分も経験したことないくらい落ち込みました。
でも、そうした、なかなか寝付けない中で、自分はfacebookに、
「真央ちゃんの状態が心配。この状況で真央ちゃんを救えるとしたら舞ちゃんしかいない!」
と投稿していたのでした。
その5に続きます。
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